クモのつな
西アフリカ・シエラレオネの昔話
さくまゆみこ 訳
斎藤隆夫 画
福音館書店
昔むかし、雨の降らない日が長く続き、大地から緑が消えて、動物たちは食べ物がないのでみんなおなかがすいてふらふらになり、がりがりにやせてしまいました。
でも、クモだけは元気でした。
ある日、友達のノウサギが「なぜきみだけそんなに元気なの」とクモにたずねました。
クモは、「今夜たべものがあるところに つれて行ってあげよう。でもだれにも言っちゃあいけないよ」といいました。
夜になって、クモはノウサギを連れて1本の木の下まで来ると、
「おかあさーん おかあさん!やってきたのはぼくですよ。つなをおろしてくださいな」
と歌いました。
すると木の上からするするとつながおりてきました。
クモとノウサギがしっかりつかまるとつなは上へ上へとあがっていきました。
そして木のてっぺんまで行くと、不思議にもそこにはありとあらゆるたべものが山ほどいっぱいあったのです。
ノウサギはおなかいっぱい夢中で食べました。
そして、クモのおかあさんにお別れをいって、つなをおろしてもらいました。
次の日、あまりにもノウサギが元気なので他の動物たちがききました。
ノウサギは「秘密だけど、今夜暗くなったら食べ物があるところに案内するよ」と約束をしました。
その晩ノウサギと一緒にやってきたのはカメとヤマアラシとヒョウとゾウとラクダでした。
クモはぐっすり眠っていて気がつきません。
ノウサギは昨夜の木の下までくると、「おかあさーん、つなをおろしてくださいな」とうたいました。
おりてきたつなにみんながしっかりつかまりました。
「おかあさーん、つなをひっぱってくださいな」とクモの真似をして歌うと、つなはのろのろとあがっていきましたが、動物たちの「わぁ!」「ひゃあ!」「きゃあ!」という騒ぎに、眠っていたクモが目をさましました。
そして、つなにつかまってうえに上がっていく動物たちを見て
「おかあさーん、おかあさん!
上っていくのはぼくじゃない」と歌いました。
すると、クモのおかあさんはつなをぶつっと切ったので、
動物たちはみんな落ちてしまいました。
それからというもの、ヒョウの体には落ちた時の傷がはんてんになって残りました。
ラクダは背中を打ったのでこぶができました。
ヤマアラシはとげとげのやぶに落ちたので体にとげがささったままになりました。
カメは背中を痛めてこうらをしょってあるくようになりました。
ゾウの鼻は落ちた時に押しつぶされて長くなってしまいました。
そして、ノウサギは穴に落ちたので今でも穴で暮らしています。
* この絵本は、こどものとも11月号として今年の11月1日に発行されました。
このお話の舞台は西アフリカにあるシエラレオネという国で、そこで昔から繰り返し語り伝えられてきた昔話です。
日本ではクモのお話はあまり馴染がりませんが、同じ西アフリカにあるガーナという国のアシャンティ族の昔話のなかにもクモのアナンシという昔話の英雄がいて、たくさんのお話が人々によって語り伝えられているとききます。
子どもたちも園にあるアナンシのお話の絵本が大好きですから、何かクモのもつ不思議な魅力があるのでしょう。
さて、この「くものつな」のストーリーは前述のとおりですが、何か不思議な雰囲気のあるお話です。
まずだれが主人公かわからない。
登場人物がぜんぶ 主人公のようでもあります。
しかし、一番集約されているのは、「くものつな」そのもののようでもあります。
次に、動物たちが全員ぶら下がっても切れないクモのつなってどんなものなんでしょう。
実態があるようでないようで、無重力のような御伽噺そのままという感じ。
芥川竜之介の作品「蜘蛛の糸」を思い出させるような東洋的な感じもします。
それから、ここではだれが悪者で、だれが善人かわからない。
みんなが飢えていても自分だけ食料を有り余るように隠匿しているクモのおかあさん、でもそれを気前よく分け与えている。約束を破りだまそうとするノウサギ、でも仲間を助けたいと思っている。人のいいクモ、でもつなを切らせてしまう。
みんな何かどうか訳ありなのにまったくそのことに無頓着。
最後は、動物たちのこぶだの模様だのこうらだのの因果関係で話が終わっています。
日本の昔話は勧善懲悪のものが多いのに対して、これは小噺の領域。
そう、西アフリカという地に住む人たちの自然との共存のなかで生まれ,育まれてきた民族の哲学とでもいうのでしょうか。
そして、これらのおおらかなお話に、斎藤隆夫さんの美しくそしてモダンな画がとってもマッチして私たちをやさしい不思議な世界に遊ばせてくれるのです。
楽しい一冊です。