フレデリック -ちょっとかわったのねずみのはなし-


作 レオ=レオニ
訳 谷川俊太郎

好学社

 

お百姓さんのサイロに近い古い石垣のなか、ここがおしゃべりのねずみの家。

サイロは空っぽ。冬は近づく。

のねずみたちは、夜も昼も働いてとうもろこしと木の実と小麦とわらを集めた。

しかし、フレデリックだけは別。

「フレデリック、どうして君は働かないの?」みんなは聞いた。

「こう見えたって働いているよ。ぼくは寒くて暗い冬の日のためにおひさまを集めているんだ」とフレデリック。

フレデリックはじっとすわりこんで牧場をみている。

「今度は何しているんだい?」

「色を集めているんだ」

またある日、半分眠っているようなフレデリックに、みんなは少し腹を立てて「夢でもみているのかい?」 というと

「ぼくは言葉を集めているんだ。冬は長いから話の種も尽きてしまうもの」とフレデリック。

そして、冬がきて雪が降り出した。

5ひきの小さなのねずみたちは、石の間のかくれがにこもった。

食べ物がある間、のねずみたちはたくさん食べおしゃべりをしてぬくぬくと幸せだった。

けれど,食べ物が減り、凍えそうな寒さが襲ってくるとのねずみたちはしゃべる元気もなくなった。

そのとき、みんなはフレデリックがいっていたことを思い出した。

「きみが集めたものは一体どうなったんだい?」

そこでフレデリックはおひさまの金色の光のことを語りだした。おや、だんだんあったかくなってきたぞ。

そして、青い朝顔や黄色い麦のなかの赤いけしやのいちごの緑の葉っぱのことを話し出すと、みんなは心のなかにぬりえでもしたようにはっきりといろんな色をみた。

そして、フレデリックは舞台に立った俳優のように、詩をしゃべりはじめるとみんなは拍手喝采。

「おどろいたなぁ。君って詩人じゃないか。」

フレデリックは赤くなって「そういうわけさ」とお辞儀をした。

✽レオ=レオニが初めて作った絵本は「あおくんときいろちゃん」で、これは孫のためにそこにあった色紙をちぎりながら作ったお話だったときいています。
それから彼は、たくさんの絵本を作って世に出しています。
そのひとつひとつは,彼の思想や生き方を明確なメッセージとして伝えるものばかりです。
たとえばフレデリックと同年の1969年に出された「スイミ-」。
副題として-ちいさなかしこいさかなのはなし-となっています。
大きな魚に兄弟を食べられてしまった小さい魚のスイミ-は,海の底で大きい魚から隠れて暮らす小さな魚たちと力を合わせ、大きな魚に立ち向かっていくというストーリーで、小さな弱い力でも、思いを同じくした仲間がたくさん集まって勇気と知恵をつくせば、大きな力となって思いを遂げることができるというお話です。
これはただ単にみんなで力を合わせ協力しながら生きることが大切だという教訓話で終わらせてしまうものではなく、その背景に戦争という人間社会の歪みのなかでユダヤ人として亡命をしなければならなかったレオ=レオニの、大きな権力によって失いかけた個と、そこからの復活といういう体験をスイミ-という小さな無力な魚の生き様として描かせたものなのではないかと思います。
そして、この「フレデリック」では徹底的に「個の尊厳」「個性の大切さ」を伝えてきます。
「みんな何もかも同じでなくてもいいのだ。それぞれがみんな違う個性をもち、それを生かしたそれぞれの役割がある。みんながそのことを担うことで他者を幸せにし社会を潤滑にしていくことができるのだ。集団、あるいは社会というひとくくりのなかのひとつの歯車としての一人ではなく、一人ひとりがそれぞれもっている個性や賜物をみんなで認め合い生かし合うことが幸せな集団・社会となっていく、そのことを大切にしなければならないのではないか」、というメッセージとして私は受け止めました。
そのことは一人の人間の生き方として、また保育者として子どもを育てていく上で大切な視点として深く学ばされたことです。
レオ=レオニの絵本は一人の個がいかにその個を大切に認識し、他者や社会とどのようにかかわっていくかという珠玉のメッセージを伝えてくれています。

2020年11月13日