おひさまいろのきもの


作・絵 広野 多珂子

福音館書店

 

ある村に ふう という女の子がいた。
ふう は何も見えなかった。大好きなおかあさんの顔さえも。
おとうさんのいない ふう の家は、おかあさんが一生懸命働いた。
ふう はそんなおかあさんの手伝いをしながらも、仲良しのさっちゃんとたみちゃんと秋祭りに一緒にいく約束をして楽しみにしていた。
さっちゃんの家に行った ふう は、秋祭りに着るためのきものの布を織る音を聞いた。
たみちゃんの家でも同じ音がした。
ふうは、自分の家には糸を買うお金もはたおりきもないことを充分知っていた。
けれど、ふう も「新しい着物を着て秋祭りに行きたい」とずっと思い続けた。
そして、ついにおかあさんの腕のなかで、「かあさん、ふう にも秋祭りの着物作って」と思いを打ち明けた。
かあさんは ふう をじっと見つめ、そして抱きしめて「ふう にも秋祭りの着物を作ってあげるね」と約束をした。
それからかあさんは、今までよりもっと働いた。畑仕事の後,夜遅くまでわらぞうりを作っては町に行って売った。
そして、少しずつ一番安い白い糸を買い足していった。
「かあさん、ふう はおひさまのようにあたたかい色の着物がいいな」
「かあさん、はなびらのいっぱいついた花の模様の着物がいいな」
「かあさん、そでのながいきものがいいな」
かあさんは ふう のことばをきいていた。
糸がやっと一枚分の着物が織れるだけになると、かあさんは何日もかけて糸を赤く染め、さっちゃんの家から機織り機を借りてきて、シュルシュルトントンと織り始めた。
ふう はその音を聞いていると自分も織りたくなってきた。でも糸がもつれるだけ。
いったんはあきらめたふうだったが、自分で掛け声をかけながらゆっくりゆっくり織ってみた。「できた!」そして、それからふうは毎日留守番をしながら布を織りつづけた。
もうすぐ彼岸花が咲いて秋祭り。ふう は、今まで以上に織りつづけた。
ある日、突然はたおりきが動きを止めた。ふう は何がおきたかわからないで泣いていると、さっちゃんとたみちゃんの「ふうちゃん、すごい。自分で布を織り上げたのね」という声が聞こえた。
ふうは布にさわってみた。さらさらとしてふわぁつとしていた。
かあさんは、おひさまいろに織りあがった布を袖の長い着物に縫い、黄色の糸で花の刺繍をしてくれた。
ふうには、そのおひさま色も輝く花の模様もよく見えた。
秋祭りの日、ふうはおひさまいろの着物を着せてもらって、さっちゃんとたみちゃんと一緒に出かけていった。


この絵本は福音館書店から9月に出版された新刊書です。
大判の絵本の表紙はあたたかいおひさまいろの彼岸花が糸つむぎをしている ふう を包み込むように描かれています。
この ふう の顔を見た時、あっこれはスーザ?と思って作者を確かめるとやはり広野多珂子さんでした。
ねぼすけスーザシリーズは、スペインの田舎でスーザという女の子が繰り広げる物語で自然や人々がやさしく明るく生活的に描かれている子どもも大好きなシリーズです。
その広野さんが、ちょっとレトロな時代背景を感じさせるその表紙から,今度はどんな物語を描かれたのかなとまず興味がわきました。
この物語は大正末期から昭和初期の時代を想定したと広野さんは語っていますが、その頃の人々の暮らしや息遣いまでもが、緻密な絵によって伝わってきます。
そのなかで,目の見えないふうという女の子が唯一の楽しみとしている秋祭りに新しい袖の長い着物を着たいという切なる願いを持ちます。
ふうは目が見えないけれど、おかあさんの手伝いをしたりお友達とも思いを共有できるたくましさ、できないことにも挑戦していこうとする力強さをもっています。
そして、それをあたたかく見守る周りの人々の関わりが描かれています。
おかあさんは,子どもの思いをかなえさせるために,精一杯の努力をしますが、それが虚栄や義務からではなく, 子どもの夢を自分の夢とし,子どもの喜びを自分の喜びとして、子どもを素朴に愛する思いによってなされていることを感じます。
私にはおかあさんが,糸を少しずつ増やしていく時に、あるいは何回も糸をおひさまいろに染めているときに、また、ふうのはたおりの音を聞いているときに、花の刺繍をしているときに,そして着物を縫っているときに母親として胸が高鳴るような喜びを感じていたのではなかったかと思えるのです。
自分で織り上げた布で作った着物を着るなどということは現代の社会ではあまり考えられないことですが、ちょっと前の日本ではそれがそんなに突飛なことではなく行われていましたし、そういう生産社会が人の生活を支え心を豊かにしていました。
そのような時代が、ふう のような子どもが真っ直ぐに前向きに生きていくことができた土壌かもしれません。
現代,消費社会にいる私たちにはない豊かさを感じさせてもらいました。
作者はご自分のお母様のことを念頭においてこの物語を描かれたと言っておられますが、そのすみずみまでその思いが込められた力作だと思います。

2020年11月18日