ぼく にげちゃうよ


マーガレット・W・ブラウン 文

クレメント・ハード 絵
いわた みみ 訳


ほるぷ出版

 

ある時、こうさぎが家を出てどこかにいってみたくなりました。
そこでおかあさんうさぎにいいました。
「ぼくにげちゃうよ」
するとかあさんうさぎがいいました。
「おまえが逃げたらかあさんはおいかけますよ。だって、おまえはとってもかわいいわたしのぼうやだもの」と。
それでもこうさぎは「おかあさんが追いかけてきたらぼくは小川の魚になって泳いでいっちゃうよ」というのです。
すると「おまえが小川の魚になるのなら、かあさんは漁師になっておまえを釣り上げますよ。」と返します。
それなら、それならとこうさぎとかあさんうさぎはことばの追いかけっこを始めます。
こうさぎが「おかあさんよりずっと背の高い山の上の岩になる」というと、
かあさんうさぎは「登山家になって登っていきますよ」。
「庭のクロッカスになっちゃうよ」といえば「植木やさんになって見つけますよ」、「小鳥になって逃げていくよ」というと「母さんは木になっておまえが止まりに帰ってくるのを待っていますよ」と応えます。
そして、小さなヨットになる、サーカスに入って空中ブランコで逃げる、というこうさぎに母さんうさぎは丁寧に応えるのです。
そして、「かあさんが 綱渡りをしてぼくを捕まえにきたら、ぼくは人間のこどもになって、おうちのなかに逃げちゃうよ」といいますと、
「おまえが人間のこどもになって、おうちに逃げ込んだらわたしはおかあさんになってその子を捕まえて抱きしめますよ」とおかあさんうさぎがいいました。
すると、こうさぎは「だったらうちにいて、かあさんのこどもでいるのと同じだね」といって、逃げ出すのをやめました。


このお話は、おかあさんうさぎとこうさぎの言葉遊びのような展開ですすんでいくのですが、読んでいるとまさしく人間の母親と子どもが交わしている言葉がそのまま聞こえてくるような感じがします。
そして、どんなお母さんと子どもが、どんな時に、どんな状況で、どんな表情をしながら語り合っているのかしらと想像してしまいます。
夜、ベッドに入った子どもとお母さんのやさしい会話でしょうか。
それともおやつをたべながらのテンポのいい ことば遊びでしょうか。
どんな状況にしてもそこにはゆったりとした時間のなかで「母と子が共にいる」というやさしい空間があります。
そして、この本は自立を始めたこどもが親から独立をしていくサインを出している、しかし、それをまだ時期ではないと見極めた母親が認めない、などというつまらない分析をするには次元の違う勿体ないお話です。
子どもと母親が次々に出てくる状況のなかで追いかけっこをしながらそれを歌のように繰り返していくなかで互いの愛を確信し、帰るべきところをしっかりと認識するというとても大切なメッセージが語られている本だと思います。
子どもはお母さんの大きな愛のなかにいる時が一番自由で安定しています。
しかし、そのなかにいる時にはそのことに気づかないし、ときにはそれが面倒にも感じられ、お母さんと離れて自分ひとりになればもっとやりたいことが出来たり素晴らしい世界が拓けるに違いないと思ったりします。
しかし、人はどこかにしっかりと抱かれていなければ、風に舞う木の葉のように自分がどこから来てどこに行こうとしていて、どこに着地をしたらいいのかわからないのではないでしょうか。
自分の帰るべき場所をしっかりもっているということ、自分がだれかにしっかり抱かれ愛されているということは人が生きていくときに何よりも大切なことなのではないのだろうかと思わされるのです。
この本は1942年に初版されていて、もう65年もロングセラーを続けていることから何代にもわたってこのメッセージを親から子へ、大人から子どもへと伝え続けてきたことを思いますとこのメッセージがたくさんの人に支持され拠り所となってきたことを思います。
65年前の親子関係と現代の親子関係ではその環境や時代性のなかでの状況が違うかもしれませんし、表現の仕方が変わっているかもしれませんが、基本的には子どもは、いえ 人は「母なるものの愛に抱かれて生きるもの、成長するもの」であることをこの本は教えてくれます。
最後に、もう逃げないと決めたこうさぎに、かあさんうさぎは「さぁぼうや、にんじんをおあがり」と語りかけ、木の根元の暖かいうちのなかで母と子がやさしく向かい合っている場面でこのお話は終わりになります。
おいかけてくれると信じているから逃げるといってみたかったこうさぎは、どこまでも自分を追いかけ、見守り、守り抜いてくれるおかあさんうさぎの腕の中で安心してにんじんを食べたことでしょう。

作者のマーガレット・ワイズ・ブラウンは他にも
・ ちいさなもみのき (福音館)
・ おやすみなさいのほん (福音館)
・ うさぎのおうち (ほるぷ出版)
・ おやすみなさい おつきさま (評論社)
・ クリスマス・イブ (ほるぷ出版)
など、長い間語り継がれ、読み継がれている名著を残しています。
どの本も古きよき時代のアメリカの家庭・家族・親と子などの心温まる愛にみちたお話です。
作者の人柄がしのばれます。

2020年11月27日