あしたもともだち


内田麟太郎 作

降矢なな 絵

 

偕成社

 

キツネとオオカミがクマの からかいうたを歌いながら散歩をしていると、
チラリ。
オオカミはそのクマが木のかげに倒れているのを見つけました。
オオカミは思わずそばに駆け寄ろうとしましたが、足を踏みとどめました。
だって、オオカミは森一番の乱暴ものと決まっていましたから、クマを助けたりしたら優しいオオカミになってしまうではありませんか。
オオカミはキツネに「さんぽはやめ!」とどなると、びっくりしているキツネをおいてきぼりにしてさっさと帰っていきました。
いいえ、かえるふりをして岩陰からキツネがしょんぼり帰っていく姿をぐしゅっと鼻をさせながら見送ったのです。
そして、大急ぎでクマのところにかけつけました。
クマはりんごの枝からおっこちて腰を思い切りうちつけて起き上がることができません。
オオカミは重いクマに肩をかして、つぶされそうになりながら家まで連れていきました。
それから、毎日看病に通いました。
ごちそうを食べさせてやったり、お部屋のお掃除までしたのです。
そんなこととは知らないキツネは、オオカミが仲良く遊んでいてもすぐに「バイバイ」とどこかに行ってしまったり、落ち着かなかったりするので、「ぼくのほかにいい友だちができたのかも」とやきもきします。
今日もさびしく1人で遊んでいると、オオカミがどこかに行くのを見つけました。
キツネはこっそり後をつけました。
オオカミは栗の実をひろいながら、歩いていきます。
そして、クマの家に入っていったのです。
クマはもうだいぶケガが治って元気になっていました。
キツネはすっかり事情がわかりました。
そして、ちょっと恥ずかしくなりました。
オオカミはそんなことはおくびにも出さず、次の日からまた、キツネといっぱい遊ぶようになりました。
今日もオオカミの歌う クマのからかいうたが 森に響いています。
クマはまったくこまったやつだ
りっぱな きばがありながら
クリやなんかをたべたがる
こまった くまった
くまった こまった
キツネはくすっと笑いながら「あしたもあそぼうね。あしたもともだちだよ」とオオカミにさけびました。


キツネとオオカミの「おれたちともだち」シリーズのなかの一冊です。
悪ぶってはいるものの ちょっとおっちょこちょいではありますが心底素直で素朴であたたかいハートをもったいい奴のオオカミと、それを兄貴分のように慕うキツネとの実に傑作なお話です。
このシリーズにでてくる 動物たちはみんなどこか屈折しながら孤独を背負っていて友だちを欲しています。
そこに実にユニークなキャラクターのオオカミとキツネが大活躍をして抱腹絶倒の話を展開していくのです。
読んでいてスピード感とリズム感が心地よく、また降矢ななさんの絵がまたじつにおもしろくて動きと表情がいきいきとしてその話の展開を魅力的にしてくれています。
どのシリーズを読んでもイメージがもう読者のものになっているのでオオカミもキツネも人事ではなくすぐそばにいる友だちや、自分自身のように親しく感じられてしまいます。
愛さえ感じます。
でも、ああ おもしろかった といって最後のページをとじようとする時、
そこには ただおもしろかった だけではない何かが残るのです。
安堵感、あたたかさ、人の情の深さにふれた感動というようなものでしょうか。
それはどこからくるのか考えてみますと、これらの話の底流には人がもち続けたい「こころとは何か」「本当のやさしさとは何か」が一貫して問われているように思うのです。
シリーズのどの物語も非常に繊細な心の動きや葛藤、また心と心の触れ合いが大事にまた、丁寧に描かれていて、目に見えるものの奥にある大事なものを読者に訴えているように思われるのです。
そして、それは自分自身の心の鏡でもあるようにも思います。
そんな「こころ」や「やさしさ」に触れた時、読者はじんわりと本物の幸せを感じるのではないでしょうか。

2020年12月09日