おしゃべりなたまごやき


寺村輝夫 作

長新太 画

福音館書店

 

ある国のとても退屈な王さまのおはなし。たくさんの家来に囲まれ、何不自由ない王さま。
でも、しゃべることもみんな家来にしゃべってもらい、毎日の時間割どうりにお勉強をして、少しの休み時間があるだけというなんと退屈な生活。

ある日、その休み時間に王さまは庭に出て、おしろのまわりを一回りすることにしました。
たったた、とっとと、走っていくと、ニワトリ小屋がありました。
中には、ニワトリがぎゅうぎゅうづめになって、こけっこ けっけと鳴いていました。
王さまはニワトリたちがかわいそうになって、戸にささったままになっている鍵をがちゃりとまわしました。
すると、ぎゅうづめになっていたニワトリたちが戸をはじくようにして飛び出してきました。
それを見つけた家来たちは、王さまがニワトリに追いかけられていると大騒ぎ。
そして、たくさんの兵隊が出動して、半分は王さまの救助、あとの半分はニワトリ小屋の鍵をあけた犯人を捜すことになりました。

救助された王さまは、やっと自分の部屋にもどりましたが、手には鍵が!
王さまはあわてて窓から鍵を放り投げました。
すると、部屋の隅にごそごそとだれかがいます。
それは王さまを追いかけてきためんどりでした。

王さまはめんどりをつかまえると
「ぼくが、とりごやを、あけたのを、だれにも、いうなよ。だまっていろ。」
といいきかせました。

外では家来たちが犯人捜しにおおわらわ。
でもなかなか鍵をあけた犯人は見つかりません。
とうとう捜していないのは王さまの部屋だけになりました。
隊長は王さまの部屋のベッドのしたから戸棚の中まで調べました。
「あっ」。
そこにいたのは、めんどり でした。
隊長はめんどりを連れて出ていきました。
でもそのめんどりのいたあとに、卵がひとつ落ちていたのです。
王さまはあとでこっそり食べようと引き出しにしまいました。

さて、夕方。

大臣がやって来て、さっきの騒動の中でならしたピストルの音にびっくりして
ニワトリたちが卵を産まなくなってしまったこと、
したがって追うさまの今夜のメニューのめだまやきできなくなったこと、
そして、コックは申し訳ないと牢屋に入ってしまったことをすまなそうにいいました。

王さまは話をきいて「卵があればコックは牢屋から出られるのだな?」と、
卵を引き出しから出すと大臣に渡しました。

王さまのばんごはんのラッパがなりました。
今夜のおかずはたったひとつのめだま焼き。
王さまはナイフでめだまやきの真ん中をぷつり。
すると不思議。

?ぼくがとりごやをあけたのを?

と王さまの声がしてきたのです。
もう一度ナイフを入れると

だれにもいうなよ

王さまが顔を真っ赤にしてぺろっとひとのみにすると

だまっていろっ

そのことばをコックさんが聞き逃すはずがありません。
王さまとコックさんは顔を見合わせて笑いました。


この「おしゃべりなたまごやき」は、1959年に「こどものとも35号」として発行された絵本です。
それから1972年には、ハードカバーの現在の絵本になりました。
お話の展開や構成そのものは変わりませんが、長さんの画が一新し、ページ数もふえておはなしの展開描写や王さまの人物像が丁寧に、そして、詳しくなって、更に楽しく魅力的になっています。
画を描いた長新太さんにとっては最初の「おしゃべりなたまごやき」が2作目の絵本でしたが、これで文芸春秋漫画賞を受賞し、新装なった現在の本では国際アンデルセン賞国内賞を受賞しています。
この長い間、子どもたちにとってもまた、大人たちにとつても「おもしろい」ということがどういうことかを伝え続けてくれています。
1959年当時にこんなにおもしろく、また、夢のある絵本が作られたということを考えますと、そのころの福音館書店の「子どもにほんものの絵本を」という意気込みが伝わってくるように思います。
今年でこどものとも出版50年を迎え、600冊の絵本を子どもたちに届け続けたこともまた、大変なことであると思います。
そんな中でも秀逸の一冊、この「おしゃべりなたまごやき」のそこに描かれたユーモアとおかしさ、やさしさ、ほのぼのとした気品などは今に至るまで色あせることなく子どもたちにたくさんのものを与えてきました。
長さんは故人となられましたが、彼に育てられた世代を超えたたくさんの子どもたちはいつまでもその世界に遊び楽しむことでしょう。

2020年12月25日