むぎばたけ


アリスン・アトリー


矢川 澄子 訳

片山 健 絵

 

福音館書店

 

あたたかい、かぐわしい夏のゆうべのお話です。
さわやかな夜風をせなかの針にうけながら、ハリネズミが1ぴき、野道をぶらぶらやってきました。
ひるまはずっと、シダやコケにかくれて眠っているハリネズミも、夜ともなるとばっちりと目をさまして月夜の冒険にくりだすのです。
ハリネズミは、けたたましい車の通る道を避けて、でこぼこのせまい小道や青草のなかの細道をうきうきと進んで行くと、木戸のところでノウサギのジャックじいさんにであいました。
「ハリ公、あんたどこへいく?」
「ちょっと、あっちの畑まで。ムギののびるところを見たいんでね」とハリネズミがいうと「わしもつきあうよ。せいぜいムギののびるとこぐらい見とかなくちゃな」と二匹はならんで歩き出しました。
空のランプが明るい晩です。
二匹が小川を渡ると、水際にカワネズミが一匹、暗い流れに足を浸していました。
そして、カワネズミも一緒にムギの穂ののびるところを見にいくことになりました。
ハリネズミは鼻歌まじり、ノウサギは前後左右に目を配りながら、そして、カワネズミは小さな鼻を突き出して、三匹は連れ立ってゆきました。
三匹はしっとりとつゆのおりた草地を抜け、真珠のようなしずくでのどをうるおしました。
小高い丘にゆきついて、みんなは足をとめました。
目の前には輝くコムギばたけが広がっています。
それは、見えない手になでられてでもいるように、かすかにそよいでいました。
夜の静けさをついて、そのおびただしいムギの穂のさやさやという美しい音楽がこちらにまで伝わってきました。
夜風に揺れて穂と穂がこすれ合うその音はさながら海の響きでした。幾千万の声の、ひそひそとささやき合うおしゃべりでした。
三匹は座り込み、息をのんで、さやさやたえまないムギの穂の合唱に聞き入ったのでした。
「ムギって、のびて、実って、取り入れの時をまつ、ムギって生きているんだね。ぼくたちみたいに」ハリネズミがいいました。
それから、3びきはそれぞれ戻っていきました。ムギの穂のささやきを思い出しながら。


今月ご紹介する「むぎばたけ」は、実に美しい詩集をたぐっているようでもあり、また、人生の哲学書をよんでいるようでもある奥深い一冊の絵本です。
イギリスの夏の風が、また、夜空に輝く星の輝きが、静かな自然の佇まいが、草花や川の流れの香りや音が、そして、ちいさな動物たちの息遣いまでもが、その文章のひとつひとつから甦ってくるように感じられます。
偉大な自然のなかの小さな生き物が、ささやかなムギののびる音に生のよろこびや目的を見出だし,聴き入り、自分のささやかな生活のなかの喜びや生きる希望に重ねていく。
そのすばらしい感覚的なメッセージが、ありのままの自然という大きさと小さな命という対比で構成され、人生の賛歌、神様への畏敬へとつながっていくように思います。
物語りの中で登場するすごいスピードで走り抜けていく自動車や、月夜には飛び跳ねたくなって見る間に姿が見えなくなる若いウサギに置き換えられている現代社会の中にいる私たちには、この自然の静けさ、命の声はきこえないかもしれません。
しかし、本当に見なければならないもの、聴かなければならないものは、こんなささやかな、ちょっと日常生活をゆっくりめにした時に見え、聴こえてくる「ムギののびる音」なのかもしれません。
心と体を鎮めて、自分の周りにある「ムギの伸びる音」に耳を傾け、美しい自然に目をとめて、生きていきたいと思います。
日本語訳も、素晴らしく、ひとつひとつのことばが重さとやさしさをもって、リズムよく語られています。
また、その語りとぴったりの呼吸で絵が語られています。
大人にも子どもにも気持がゆったりとする絵本です。

2021年01月27日