おじいさんならできる


フィービ・ギルマン 作・絵

芦田ルリ 訳
福音館書店

 

ヨゼフが赤ちゃんの時、おじいさんが素敵なブランケットを心をこめて縫ってくれました。けれどもヨゼフが大きくなるとその素敵なブランケットはだんだん汚れて破れて古くなりました。
「おじいちゃんなら何とかしてくれる」とヨゼフがおじいちゃんに頼むと「ふうむ どれどれ」とよく見てから「ちょうどいいものができるぞ」といっておじいさんは古くなったブランケットをヨゼフにぴったりのジャケットに作り変えてくれました。

けれどもまたヨゼフが大きくなるとそのジャケットも古くて小さくなっていきました。
そこでまたおじいちゃんに頼むと今度はジャケットから素敵なベストを作ってくれました。
そして、そのベストが汚れると今度は、ネクタイに。
そのネクタイも汚れるとまたまたはさみでちょきちょき、針でちくちく縫って素敵なハンカチにしてくれました。
そのハンカチが汚れると、ボタンにしてくれました。
けれど大好きなそのボタンがなくなってしまったのです。
さんざん捜しましたがどこにもありません。
ヨゼフもおじいさんもあきらめなければなりませんでした。
でも次の日、ヨゼフはおじいさんとのこの素晴らしい物語を書き始めたのです。

 


1998年6月に発行された世界傑作絵本シリーズ、カナダの絵本です。
おじいさんが赤ちゃんのヨゼフに心をこめて作ってくれたブランケット。
おじいさんはヨゼフが大きくなるたびに「ちょうどいいものができるぞ」といって次々にそれを変身させてその時のヨゼフにぴったりのものに作り変えてくれるのでした。
しかし、ヨゼフが最後に作ってもらったボタンをなくしてしまった時、そしてそれがもう見つからないと思った時、おじいさんもヨゼフもがっかりして悲しがります。
しかし、ヨゼフはおじいさんがずっとそのたびにしていたように「ふうむ どれどれ」といいながらこの「ぼくとおじいさんのこのすてきなおはなし」を書き始めるのです。
永遠になくならないおじいさんと自分の素敵な物語を。

この絵本を読んで、人にとって大切なものは何か、家族とは何か、愛とは何か、子どもを育てるとは何かを考えさせられました。
物語の中の、ひとつのものを大事にして、その都度その時のその子にふさわしいものに作り変えていくおじいさんの行為の中に、子どもを育てる時の一番大切にしなければならないものを学んだように思います。
子どもに対する素晴らしく大きな慈愛がなければこれだけの想像力、創造力にはならないでしょう。

また、おじいさんに作ってもらったものが自分にとって特別なものとして喜んで受け入れているヨゼフの中に、確実に信頼とか愛とか創造する喜びという、生きること、生活していくことへの希望と確信が育てられていることを感じます。
ひとつの物がただの物を超えて高い精神性をもつものになっていくということに高い文化性を感じます。
同時に子育てというのは、目に見える物から目に見えないものを創り出していく営みであり、それを受け継いでいくものなのではないかと重ねて思わされるのです。

おじいさんの仕事は何か、どのような家にどのような家族がどのように生活しているか、またヨゼフの成長に伴いそれらがどのように変化していくかなどが舞台の芝居を見ているように表情豊かに描かれています。
家の床下に住んでいるねずみの一家も、ヨゼフ一家と絡んで楽しい物語の世界を創っている主人公になっています。

2021年03月18日