3びきのくま


トルストイ 文

バスネツォフ 絵

おがさわら とよき 訳
福音館

 

森に3匹のくまが1件の家に住んでいました。

大きいくまと、中くらいのくまと、小さいくまです。

ある日、3匹のくまが散歩にでかけている間に、女の子がその家に入り込みました。

そして、机のうえにあったくまたちの3つのお椀のスープを飲んでみて、いちばん小さいお椀の分を飲み干し、3つの椅子に座っていちばん座りごこちのよい椅子を選んで座り込んで壊し、自分にちょうどいいベッドに入って眠り込んでしまいます。

そこへ、くまたちが帰ってきて大騒ぎになります。そして、ベッドの中の女の子を見つけておそいかかろうというその時、女の子は目を覚まし、すばやく窓から森の中に逃げ出して行ってしまいました。

このお話は、ロシア民話だとばかり思っていました。
しかしイギリスの昔話にもこれと同じものがあることを知りました。(そこでは女の子がおばあさんになっています。)昔からよく知られているお話ですが、ただ単にストーリーのスリル性や、繰り返しのお
もしろさだけの本ではないような気がして、長い間心にひっかかっていました。
ところが,子どもたちと生活する中でハッと気づかされたのです。
それは、子どもたちの自分さがしの姿そのものではないのかなということなのです。
この女の子が自分にいちばんふさわしいスープ、椅子、ベッドを選び、「これがわたしにちょうどいい」という姿と、子どもが失敗を繰り返し、いろいろなトラブルにぶつかりながら、さまざまなことやものに挑戦し、自分の快い居場所を獲得しようとする姿がダブって見えるのです。
子どもは、自分自身で実際に試しながらさまざまなものを字分の中に取り入れ、自分のものにしていきます。
オトナからのお仕着せのものでは満足しません。
時にはハチャメチャにみえることをしたり,破壊的なことをしてみたり、納得するまで何度も何度も同じことくりかえしてみたり一見大人は理解しがたい行為をすることがありますが子どもはそうやって自分さがしをしていくのです。
そう思うようになってから、子どもが大きな自由の心の森の中で自分にいちばんふさわしいものを見つけ出しながら、自分さがしを思う存分してほしいと思いつつ、この本を読むようになりました。

2021年04月21日