魔法のことば

柚木沙弥朗 絵  金関寿夫 訳
福音館書店


☆現代の社会において「ことば」はどんな役目をしているでしょうか。私たちは「ことば」をどのような感覚で使っているでしょうか。
この絵本「魔法のことば」は、金関寿夫さんの著書「魔法としての言葉ーアメリカ・インディアンの口承詩」のなかで紹介されている、エスキモーの人々に伝わる一篇の詩に、柚木沙弥朗さんの絵が伴って不思議な、重厚な絵本、哲学書のような絵本になりました。
絵本をめくっていると、ことばの部分があまり多くないように感じましたが、ことばだけ書き出してみると以外にたくさんの文章になっていました。こんなふうになります。

ずっと、ずっと大昔 / 人と動物がともに この世にすんでいたとき / なりたいとおもえば 人が動物になれたし / 動物が人にもなれた / だから ときには 人だったり ときには動物だったり、/ たがいに区別はなかったのだ。 / そしてみんなが おなじことばをしゃべっていた。 / そのとき ことばは、みな魔法のことばで/ 人の頭はふしぎな力をもっていた。/ ぐうぜん 口をついてでたことばが ふしぎな結果をおこすことがあった。 / ことばはきゅうに 生命をもちだし/ 人がのぞんだことがほんとうにおこったー /したいことを ただ口にだしていえばよかった。/ なぜそんなことができたのか / だれも説明できなかった。/ 世界はただ、そういうふうになっていたのだ。

とても一言一言に重みがあってつい読み返してしまいます。でもむずかしくてわからない、という難解さではなく、子どもでもダイナミックな、そして個性的な絵にひきつけられ呪文のようなことばの世界を遊ぶことができる絵本だと思います。いえ、子どもだからこそよくわかる絵本なのだろうと思います。
さて、本当に「ことば」の始めはどうだったのだろう。私たちホモサピエンスが人としての種を保って生き残ってこられた要因のひとつに「ことば」を話すようになったことだときいたことがあります。ことばを用いてコミュニケーションが生まれ、共有することで文化を起こしそれを後世まで伝え、共に命の危機に立ち向かってくることができた。そのことがこの種を継続させることにつながったという説です。確かにそうかもしれません。
私たちが日常何げなく使っていることばはほんとうはすごいものなのかもしれません。
この詩はエスキモーの昔話、天地創造の物語りから構成されているのではないかと思いますが、そうすると人類というのは、天地の始めの物語について同じような発想や信仰をもつものかとも思います。旧約聖書の中では、最初人は神様とことばを交わすことができた存在として描かれています。そして動物たちや自然と共存する存在であったと。それがエデンの園を追い出され、ことばは人間だけのものとなり、更に神になりたくて高いバベルの塔を作ろうとした人間たちに神はことばを通じなくされて破壊されたとあります。新約聖書ヨハネ福音書の冒頭には「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。万物は言によってなった。」と記されています。どうやら世の始め、命の根源とことばは深い関係にあったのではないかと思います。
日本でも、文字が生まれる前、「ことば」は言霊(ことだま)と呼ばれ、この世とかの世を結ぶもの、すべてを支配するものとして特別のものだったようです。そして、少し後世になり文字が普及し始め、仮名という日本人独特の心情をこまやかに表現できるようになった頃のことば感覚が万葉集に歌われたさまざまな歌に残されています。「ことば」の重みは単なる「もの」や「こと」を超えて目に見えない世界を伝える力をもち、ことばで発することは現実におこる霊力をもつものとして信じられていたようです。志貴皇子「石ばしる 垂水のー」の歌や最後の家持の「新たしき 年の始めのー 」などは、自分の願望をことばにして歌うことによって「きっとそのようになる、なってほしい」という祈りや絶対信頼をことばに託していると言われています。ことばに魔法の力を感じられる人々の素朴なそしておごそかな時代でした。それからもずっと、芸術・文化・文学そして政治においてもことばが吟味され、人々の心を動かしてきました。そしてそによって平和を創り出したり、逆に争いの種になったり、人を癒したり、傷つけたり、ことばは魔法のように多様なかたちを生み出してきました。21世紀の今、とても便利な時代になり、「ことば」が普遍性をもつ文字に取って代わられ、さまざまな機器によって、ことやものを伝えるだけの記号化された存在になってはいないかと危惧を感じます。すべてがデジタル化するなかで人間が発するその人だけのことばの重みがなくなっているように思うのです。「ことば」が生き、立ち、人々の間をかけめぐる「意味のある存在」「魔法のように人々を幸せにする存在」として回帰することはできないのでしょうか。ことばを通して平和を実現する魔法の力をもてないでしょうか。「なぜそかんなことができたのか、だれも説明できなかった。世界はただそういうふうになっていたのだ。」という最後のしめくくり。すべての生命とことばが渾然一体になっていた世界のはじめ、それはなつかしい理屈抜きの魔法の世界だったのかもしれません。
2020年06月05日