くんちゃんのだいりょこう


ドロシー・マリノ文/絵
石井 桃子 訳
岩波書店

 

冬眠の時期を迎えた子ぐまとお父さんお母さんぐまのお話です。

渡り鳥のように、暖かい南の国に大旅行をしたいといいだした子ぐまの くんちゃんに、「やってごらん」とお父さんぐまがいいます。

「でも帰り道の目印を忘れちゃいけないよ」と丘の上の松の木を教えます。

くんちゃんは意気揚々とでかけますが、丘の上に立つと、お母さんにお別れのキスをするのを忘れたことを思いだし、駆け降りてお母さんにキスをするとまた丘の上まで駆け上がっていきます。

丘の上に立つ度に次々に大旅行に必要な双眼鏡や釣竿や水筒や帽子などを思いだし、そのたびに丘を駆け降りて家に持ちに帰ります。

こうして丘と家とを何度も往復しているうちに子ぐまはだんだん眠くなってきて、家に戻るとおかあさんにキスをしてベットに入ると冬中ぐっすりと眠りました。

 

☆この絵本が石井桃子さんの訳で日本で発行されたのが1986年です。今から30年程前になります。でも今読んでも少しも古くなっていない、また色あせていない絵本です。それは子どもの自立が今も昔も同じ道筋を辿って行われているからではないかと私は思います。

子ぐまのくんちゃんは、渡り鳥を見て、まだ見たことも行ったこともない南の国に行ってみたいという大冒険を企てます。子どもが自分の実力に見合わない夢を描き、それを実現したいという思いをもつことはよくあることです。大人から見れば何て無謀な絵空事と思うようなことでも子どもは真剣です。くんちゃんが実現したいと思った大旅行は、お父さんお母さんのもとから未知の世界へ飛び出す自立の決心でもありました。

それに対して、お母さんとお父さんの対応が異なります。お母さんは鳥と熊とは違うということ、これから冬眠をすることを伝えます。それに対してお父さんは「やらせてみなさい」といい、帰り道の目印を教えます。子どもの思いを受け入れながら、帰ってくる方法を指標として与えています。

子ぐまは、意気込んで出掛けますが、途中でお母さんに別れのキスをしに帰ってきたり、旅行に必要だと思われるものをとりに何回も家に帰り、その度にお母さんにキスをして往復を繰り返します。そして結局、疲れ果てた末に家に戻り、ベットでぐっすりと冬眠に入るのです。

子どもが、初めて新しい仲間や遊び場で遊び始める時、最初はお母さんのひざにしっかりと乗って、周りをよく見ています。そして自分もやってみたいな、遊んでみたいなというものがあると、最初は見ているだけですがだんだんお母さんのひざを離れ、ちょっと試すとすぐにまたひざに戻ってきます。お母さんの衣服や手にさわったまま、遊具を取りにいこうとする子もいます。そんなことを何度も繰り返しているうちに、お母さんから離れていられる距離も時間もだんだん長くなっていきます。

子どもの冒険の世界が広がっていく瞬間です。

お母さんの存在の象徴である「お母さんのひざ」は子どもの冒険に出発する時の基地であり、母港です。この「お母さんのひざ」がある限り、子どもは安心して冒険にでかけられるのです。子どもは何度も何度もこの「ひざ」の存在を確認しながら外に向かい「ひざ」を目指して帰ってきます。

いつでも家にもどってこられる「丘の上の松の木」の目印がある限り、子どもは安心して自由な世界に大旅行することができるのではないか、そして自立した大人になっていかれるのではないか、そんな子どもの育ちの原点をこの絵本を読んで再確認したように思います。

2020年06月22日