ひとりぼっちのミャー クリスマスのよるに

え・ぶん たしろ ちさと
女子パウロ会
あるまちにひとりぼっちのねこがいました。なまえはミャー。
やせっぽちでおなかをすかせた、みすぼらしいねこ。
あしたはクリスマス。まちのひとたちはみんな、クリスマスのおいわいをしています。でも、ミャーにはクリスマスのごちそうはありません。クリスマスをいっしょにいわうかぞくもいません。
ミャーはさむくてふるえていました。
そらからゆきがおちてきました。
「あったかそうだなあ、ぼくもだんろのひにあたりたい……」
まどのなかから、まっしろなねこがいいました。
「まあ、きたないねこ。ここはあたしのおうちよ、あっちへいって」
「おなかがすいたなあ。なんていいにおい」
「こらこら、しっ、しーっ。ここにはおまえにやるたべものはないぞ」
ゆきはどんどんふってきます。さむいなあ、さみしいなあ、なんだかなみだがでてきた。
「あのじどうしゃのしたでやすもう」
ミャーはじどうしゃのほうに、あるいていきました。
ところがじどうしゃのしたには、おおきなねこたちがひそんでいたのです。
「ここはおれたちのなわばりだぞ!」
ねこたちはおいかけてきました。
ミャーはにげました。いきがきれていまにもころんでしまいそうです。
ミャーはおおきなふくろににげこみました。そして、ふくろのいちばんおくにかくれました。
おおきなねこたちは、きづかずとおりすぎていきました。
「ふくろのなかはなんてあったかいんだろう……」
ミャーはねむってしまいました。
ミャーはとんでいるゆめをみました。とりのように、どこまでもどこまでもとんでいって……。
「おやおや!」
「おまえはどこからきたの?かみさまがサンタにくださったプレゼントかな?」
サンタさんのいえはあったかい、ミャーはしあわせ。サンタさんもしあわせ。
クリスマスおめでとう!
☆いよいよ12月です。イエス様のお生まれになったクリスマスが間近になり、幼稚園ではアドベントに入りました。ページェント(降誕劇)も始まります。イエス様のお生まれになった日の様子をみんなで歌い演じ喜びます。劇中、ヨセフと身重のマリアはベツレヘムで宿に泊まろうとしますが、どこの宿もいっぱいで泊まれません。馬小屋なら、と寝床とも言えないような寝床を与えられ、イエス様はそこで生まれます。そのイエス様が寝かされる飼葉桶に集うのが3人の博士、そして天使に救い主が生まれたことを伝えられた羊飼いと羊たちです。貧しき者、小さき者を愛することを説いたイエス様。それはこの誕生の場に羊飼いや羊たちが登場し喜び合うことに象徴されているのでしょう。
この絵本のミャーも、貧しき者、小さき者の象徴です。泊まる宿がなかったヨセフとマリアのようにミャーも寝る場所が見つかりません。食べるものもありません。ですが、クリスマスの中、クリスマス故に自分の居場所を見つけることができ幸せな生活を得ます。この絵本の作者のたしろさんのあとがきに「クリスマスという日は、みんなが幸せになる日」という言葉があります。この絵本を読める多くの人はミャーではないことでしょう。寝るところもあれば食べるものもあり、クリスマスを家族と幸せに過ごせる人も多いのではないでしょうか。ですが、世界に目を向けたら、或いはほんのちょっと隣の人を見てください。果たしてみんながみんな幸せな中でクリスマスをお祝いしているでしょうか。そんなことはなく、世の中では幸せなクリスマスを過ごせる方がずっと少ないのが現実です。
幸せな中にある人が貧しき者、小さき者に少しでも幸せをわけることで、みんなが幸せになれるのがクリスマスであり、クリスマスが私たちに与えられた意味になっていくのではないでしょうか。そんなことを教えてくれる一冊だと思います。