かなと やまのおたから


土田 佳代子 作
小林 豊 絵

福音館書店

 

家族総出で稲刈りが終わったある日、かなはおとうさんに頼んできのことりに連れていってもらいました。

まだうす暗い山のぼこぼこした道をおとうさんの車はゆっくり登っていきます。

お父さんは「これからいくのは秋のお宝がたくさんある山なんだ。お父さんしか知らないとこだで だれにも内緒だぞ」といいました。

曲がりくねった山道を登って行くと、いろいろな山の動物たちがまるでお宝を見張って いるように動いているのに出会いました。

「さあ、ついたぞ」

ずんずん山のなかに入っていくお父さんの後を、かなと弟は追いかけるようについていきます。

お父さんは早速きのこを見つけました。でもかなにはどこなのかぜんぜん見えません。

お父さんは落ち葉をどけてきのこを見せてくれました。かなは教えてもらったとおり大事にきのこをとりました。

かなは山のお宝のお返しにいっぱい集めたどんぐりやまつぼっくりを落ち葉の上に山盛りにおくと、また車に乗って山を下っていきました。

夕飯は、山のお宝の栗ご飯と、きのこ汁でしたよ。

 

☆この絵本は「こどものとも」11月号として配本されました。できたてのホヤホヤです。

この物語は、福音館書店が創立60周年記念として募集した「絵本にしたいお話」のたくさんの作品のなかから選ばれたものだそうです。

作者は「今は亡き父と共有した、心に残る思い出を自分の娘に語ってあげたい」との思いからこの作品を応募されたとのこと。

ページをめくったとたん、里の豊かな稲の収穫の風景が広がって、家族がみんなで働いている様子が描かれています。畑でみんなで食べるお昼ご飯。

青く高い空の下、稲の匂いが漂っているようななかでの昼ごはん。「家族がいる」ということをひしひしと感じさせてくれるうれしい一時でもあります。

私の家は農家ではありませんでしたが、祖父母の田圃にはよく通いました。一番好きだったのがこの稲刈りでした。幼い私にもできる束ねた稲を運ぶ仕事があってみんなにほめられたり、いなごや土の中をほじってツブをとったりして遊びました。

みんなが体を動かしてほがらかでした。

そんな情景と匂いがありありと思い出されるようなオープニングでした。

そして、色づいた山へと場面は移っていきます。

山の土の感触、小さな山の動物たちとの遭遇、山のお宝の発見、そして山の豊かな幸との出会い。ここでもドキドキワクワクと臨場感を感じさせてくれます。

そんな山のなかで感じるお父さんの存在の大きさ、自然に対する知恵や真摯な生き方の伝授。最後は山のお宝を持ち帰ったかなたちを囲んで、みんなで夕飯をいただく家族の笑顔があります。そのなかでかなは今日一日の満たされた思いをじっとかみしめているように描かれてこの物語は閉じられます。

この絵本は里と山とで生活する人々の暮らしのなかで育まれた豊かさのなかでの家族や親子の関わりが描かれています。それは限定された時空を超えて、実際に作者自身が体のなかにあたため続けて来た子ども時代の思い出が「出来事として」だけではなく、「宝物」として描かれているように思います。そこに方言や絵のあたたかさが加わってより感覚的な輝きを感じさせてくれます。

しかしこの思い出は作者だけの宝物ではなく、お父様にとっても子どもたちとのかけがえのない色あせることのない宝物としての思い出であったのではないかと思うのです。

互いに「共にいること」、「共に感じること」、「共に喜ぶこと」が親子の尊い宝物となるのでしょう。

そして作者のお父様への思い出は娘さんにもきっと宝物として伝わっていくことでしょう。

このような原風景を記憶のなかにもっている人、また追体験できる人はとても幸せだと思います。

このような自然との共生のなかでの原風景は今、なかなか得難いものになっていますが、子どもたちが家族、親、自然との強いつながりのある豊かな生活、思い出を体のなかに温存し育てていかれるような、そしてそのことを自分の子どもや孫に語り継ぎたくなるような幼児期の生活を積み重ねられるよう願ってやみません。

2020年07月29日