くさはら


加藤幸子 ぶん
酒井駒子 え
福音館書店

 

おとうさんとおかあさんとおにいちゃんとかわにあそびにいったゆーちゃん。
ちょうちょをおいかけてきづくとくさはらのなか。

はみがきみたいにすっとするにおいがしました。

ながいはっぱ、まるいはっぱ、ギザギザのはっぱがあしをこちょこちょ。

せのたかいくさにとりかこまれてしまいました。

うごいたらピシッとはっぱがほっぺたをぶちました。
なきたくなったのでめをつむりました。
きゅうにいろいろなおとがいちどきにきこえてきました。
ザワザワ。カサコソ。ジージー。ピッピ。キリリ コロロ。
とおくでかわもシャラシャラうたっています。
ここってどこなんだろう。

「ゆーちゃん、なにしてるの?」

めをあけるとおかあさんがわらっていました。
おかあさん、どうしてここがわかったの?


☆おとなにとって「くさはら」は自分より背の低い、何も感じない相手になっているのではないでしょうか。
でも、この絵本を読むと「ああ、そうだったよね」と誰しもが感じたことのあるこどもの視点、感性が思い出されます。
この絵本の主人公、ゆーちゃんは家族と一緒に河原にきました。
ちょうちょを追いかけているうちに、くさむらに入っていってしまいます。
そのくさはらの中で、普段の生活では得られにくい触覚、嗅覚、視覚、聴覚を通して、ゆーちゃんは不安になっていきます。
そこから助け出してくれたのが、おかあさん。
ゆーちゃんと一緒にドキドキしながら読んでいた読者も「ああよかった」とホッとしてしまいます。
そして、おかあさんに見つけてもらえたゆーちゃんの気持ち。
『おかあさん、どうしてここがわかったの?』
ゆーちゃんにとって自分よりも背の高いくさはらの中は不思議な怖い場所であり、自分ひとりが誰からも隔絶されてしまったかのような場所になっていたことがうかがえます。
そして、それはその前のおかあさんの言葉「ゆーちゃん、なにしてるの?」という言葉ともつながっています。
おかあさんにとってはそこは何のことはないただのくさはらの中だったということ。
上から見ていればゆーちゃんがどこにいるかすぐわかり、まさかゆーちゃんがこんな冒険をしているとはおかあさんは微塵も思ってはいなかったことでしょう。
おとなの視点とこどもの視点の違いをはっきりと感じさせてくれます。
春になり、夏に向かって草花もどんどん伸びている今日この頃ですが、身をかがめてこどもの目線の高さでくさはらを、庭を、家の中を、世界を改めて眺めてみてはいかがでしょうか。
おとなになって忘れていた感性を思い出させてくれるかもしれません。

また、さいごにゆーちゃんを見つけてくれたのがおかあさんだったという点も、おとなが読んだときのこの絵本の優しさ、郷愁につながっていると思います。
ゆーちゃんのおとうさんはおにいちゃんと川で遊んでいました。もしゆーちゃんを見つけたのがおとうさんだったら、話が何か大事のようにも感じてしまいますよね。ゆーちゃんがいなくなった、大変だ、探さなきゃ、というところでお父さん登場というような。
そうではなく、こどもといつも一緒にいて、「普通」の生活を感じさせてくれるのはいつの時代もおかあさんだということ。そしてこどもが困ったときに目を開けると、何気なく笑ってくれているのがおかあさんなのでしょう。
いつもそばにいてくれる存在、そしてこどもをいつも見ていてくれるおかあさん。
5月は「母の日」があります。そんな母の愛を考えながら、母の日を迎えられたらと思います。

2020年08月26日