しりたがりやのふくろうぼうや


マイク・サラー作/デービッド・ビスナー絵
せな あいこ訳

評論社

 

アウリーは何でも知りたがりやのふくろうのぼうやです。

夜になるとアウリーぼうやはおかあさんにたずねます。

「お空にはどれくらいお星さまがあるの?」

おかあさんが応えます。「たくさんあるのよ」

「でも一体いくつ?」と聞くアウリーぼうやにおかあさんはにっこり笑って「数えてごらん」といいました。

そこで、ぼうやは数え始めます。朝になるまで数えても数え切れません。

ぼうやは疲れ切っておかあさんの羽に抱かれて眠ってしまいました。

次の夜も、ぼうやはお空はどれくらい高いのか、空にむかって飛んでいきました。

けれどどんなに高く飛んでも空はまだまだ高いのでした。

次の夜は海にはどれくらい波があるのか浜辺まで飛んでいって波の数を数えました。

おひさまが上るまで数えてもまだまだ海には波が残っていました。

次の夜、ぼうやはおかあさんに「海はどれくらい深いの?」とききました。

するとおかあさんは「お空の高さと同じくらい深いのよ」と応えました。

その夜、ぼうやはじいっと考え事をしていました。

そして、おかあさんに言いました。

「ぼく、おかあさんが大好きだよ」

「どれくらい?」おかあさんがききました。

「おそらの高さと同じくらい。海の深さと同じくらい大好き」といって抱きつきました。

「これからもたくさんだっこしてくれる?」ときくとおかあさんは
「ええ、海の波の数と同じくらい、お空の星の数と同じくらい」と応えるのでした。

そして、そのとおりにしてくれました。


☆子どもは時々周りの大人に対して質問攻めにする時があります。
ひとつひとつのことが気になって聞きたくなるのです。
その質問は種々雑多で、時には崇高な哲学的なことやむずかしい科学的なこと、真理に関することなども混ざっているので聞かれた対象にとっては戸惑うことも多々あります。そんな時、真面目な方は辞書やインターネットなどでしっかり調べて答えるかもしれませんし、そうでない方は「知らないよ、そんなこと」「そんなことどっちでもいいでしょ」なんて応えているかもしれません。
このアウリーぼうやのように自分の身の回りにある深遠なる真実のなかの「たくさん」「とっても」ということをもっと確かなものとして知りたいんだという子どもたちもいることでしょう。
星の数?何かで調べれば大体の数は教えられるかもしれません。
でもそんな大きな数を教えてもらっても子どもには尚更理解できないでしょう。
そんな時、ふくろうのおかあさんはどうしたか?
「たくさん」で納得しないぼうやに「じゃあなたが数えてごらん」と言うのです。
ぼうやは夜通しかかって空の星、波の数を数えますが、数え切れないくらいたくさんだということを知ります。
空の高さも飛んでも飛んでも届かないくらい高いのだということを自分が飛んでみて知ります。
おかあさんはそのぼうやに最後まできちんと相手をしてあげます。
そして、海の深さが空の高さくらいなのだとおかあさんから聞いた時、空を飛んだ時の実感によって海の深さを想像でき「知」を得ることができました。
そして、それらが熟成されておかあさんの愛が深く広いことに気づいてつながっていくのです。
子どもがする抽象的な問いに、抽象的な応えをしても満足はしませんし、子どもの本当に知りたいこととは的はずれなものになるかもしれません。
ふくろうのおかあさんのように、子ども自身に体験させ実感させるということが一番分かりやすいでしょうし、また満足できるものとなるはずです。
そのくらい大人が先々まで見通す力とそれを子どもの要求にフィットさせていく度量を備えたいものです。
この絵本のテーマは多分、おかあさんふくろうとアウリーぼうやの親子の情愛の深さ強さやさしさなのでしょうが、私はふくろうおかあさんの愛にあふれた知恵深さに感心させられてページを繰りました。

2020年09月04日