カボチャばたけのはたねずみ


木村晃彦 作

福音館書店

 

おじいさんが大事に育てている畑のカボチャたちも、もうすぐ収穫できます。

そこに「はたねずみ」の一家がやってきておいしそうなカボチャを見つけると、おとうさんが実を切り取り、こどもたちが種を運びだしてお日様にあてて乾かしました。

種を運び出したところは小さなお部屋になりました。

その晩はおかあさんが作ったカボチャのスープをおなかいっぱい食べて小さなお部屋で休みました。

次の日もその次の日もおとうさんはカボチャを切り取り、ベットやドアを取り付け、こどもたちは種を運び出して働きました。

部屋はだんだん広くなりました。

そしておかあさんが山ほど作ったカボチャのコロッケや、ホクホク煮や、種のからいりをみんなで食べました。

カボチャの葉が黄色くなり、種もカラリと乾いてできあがった快適な家のなかに全部しまうことができるとおかあさんは祝いにカボチ
ャケーキを作りました。

そのケーキを食べようとしたその時、ドッサドッサと足音がしてきました。

おじいさんが収穫にきたのです。カボチャの実を収穫しながらだんだん近づいてきます。

そして「はたねずみのカボチャの家」をツルから切りとろうとしたその時、おじいさんは煙突や窓に気づき、不思議に思って中をのぞき込みました。

カボチャのケーキと、はたねずみの家族が隅で震えているのが見えました。

おじいさんは「年寄りにはこれだけカボチャがあれば十分だ」と大きな声でいうと「はたねずみの家」をそっとしたまま、愉快そうに口笛を吹きながら帰っていきました。

はたねずみの家族はホッとしてそれからおいしいカボチャケーキを食べたんですって。


☆先月の「あむ」に続いて、福音館書店の「こどものとも」年中版8月号からの紹介です。これを初めて読んだ時に、不思議な安定感を感じました。
それがどこからきているのか、考えてみました。
たしかにおだやかなそしてあたたかい話の展開や、のどかな自然の風景、収穫の喜びなどがやさしい絵とともにふんだんに描かれていてそれだけでも心が落ち着いて楽しくなってきます。
けれども私が感じた最初の感覚は、はたねずみの一家がカボチャの家を作っていく過程と重ねて、何もないところから家を作っていくということ、すなわち自分の世界を作っていくということの喜びがなつかしさと共に甦ってきたことでした。
いってみれば、雨の降った日、ともだちとカサを寄せ合い重ね合って屋根を作り雨音をききながら、狭くて身を小さくしながらも外と隔絶した小さな空間に特別の感覚をもったこと。家の隅に椅子などを並べ毛布やシーツをかけて自分の部屋を作ってはだれからも見えないようにして遊んだ時のミステリアスな満足感。
ひいては箱などを使って人形の家を作り、人形を自由に行き来させたあの感覚。
はたねずみのおとうさんは、カボチャを切り取り、こどもたちは種を出して、だんだんに部屋を大きくしていく、そのうち窓や戸をとりつけ、煙突までつけてしまう。
最後には本当に素敵なベッドルーム、キッチン、貯蔵庫ができあがるのです。
これって「世の中にできないことはないぞ」、という感じしませんか。
自分たちの身の丈にあった空間を創り出していくことの喜びが共感をもって伝わってきたのです。
それから、おかあさんが作るカボチャ料理のおいしそうなこと。
私も相伴に預かりたいと心底思ってしまいます。一生懸命働いているおとうさんやこどもたちに、おかあさんは一生懸命お料理しておなかいっぱい食べさせます。
本当に「ここに家庭があるんだなぁ」と感じさせてくれます。
そして、そんな小さな家庭をやさしく見守るおじいさんの存在は、このおはなしをおとぎばなしのように包み込んでくれます。
作者そっくりのおじいさん、木村さんは自分の畑でねずみたちと共存しながら作物を作っていらっしゃるとか。
はたねずみたちは木村さん以上に畑のおいしいものを知り尽くしているのかもしれません。自然の恵みを共にいただいている木村さんとねずみたち、いい仲間なのかもしれないですね。
人が豊かに生きて行く時に欠けてはならないやさしさや、素朴な生活感がなつかしさと共に描かれている絵本です。

2020年09月07日