どんなにきみがすきだかあててごらん


サム マクブラットニィ ぶん
アニタ ジェラーム え
小川仁央 やく

評論社

 


小さな茶色いノウサギと、大きな茶色いノウサギのおはなしです。

小さなウサギは大きなウサギに「ぼくがどんなにきみが好きだかあててごらん」とききました。

そして、「こんなにさ」と腕を思いっきりのばしました。

デカウサギも腕をぐんとのばして「ぼくはこーんなにだよ」と見せますと、あらチビウサギよりもずっと長い。

考えたチビウサギは今度はせいのびをせいいっぱいしました。

でもデカウサギがせいのびをすると、もっと大きい。

逆立ちをしても、とびあがっても、はねまわってもデカウサギにはかないません。

あたりはすっかり暗くなり、チビウサギはもう眠くって何にも思いつかなくなりました。

「ぼく、お月様に届くくらいきみが好き」というと、目を閉じました。

デカウサギはチビウサギを木の葉のベットにそっと寝かせると、そばに横になりながらほほえみながらつぶやいたのです。

「僕はきみのこと、お月様まで行って帰ってくるくらい、好きだよ」


☆今年は兎年ということもあり、ウサギのおはなしの絵本を何冊か取り出して読みました。
「しろいうさぎとくろいうさぎ」や「うさこちゃん」。「かちかちやま」や「めがねうさぎ」、「ゆらゆらばしのうえで」。それに、それに、・・・いっぱいあります。
そんななかに、この「どんなにきみがすきだかあててごらん」がありました。
この絵本は前にもご紹介したことのある「パパとママのたからもの」を作った作者・画家・訳者と同じトリオで作った作品です。
この本のなかでチビウサギは、自分がデカウサギをどのくらい好きかをあらゆる表現で 伝えようとします。
けれどもチビウサギがどんなにがんばっても、デカウサギがチビウサギを好きだよという表現にはかなわないのです。 
一生懸命伝え合うチビウサギとデカウサギ。
最後は「月に届くくらいの思いだ」というチビウサギ。それに対して「月に行って帰ってくるほどの思い」だとデカウサギ。
人の思いは宇宙まで続くほど果てしないものであり、際限のないものなのでしょう。
チビウサギのけなげさ、一生懸命さと、デカウサギの鷹揚で包み込むような掛け合いが ほのぼのと楽しく、最後には、眠ってしまったチビウサギにデカウサギがそっと「君が僕を好きなことなんかよく分かっているよ」というようにまるでおかあさんかおとうさんのようにそっと見守るのです。

自分がどれだけ愛されているかを確かめたい思いと、自分が相手をどれだけ愛しているかを分かってほしいと思うことは似ているようで、少し違うように思います。
後者はすでに相手と自分の間の信頼関係がきちんとできているなかでより一歩進んでそ の絆を強くしたいというような力づよさを感じます。
でもこのチビウサギとデカウサギってお友達?兄弟?親子?それとも恋人?
どんな関係にもあてはまるようで、それもまたおもしろいです。
目に見えないものを大切にしたいという作者たちの思いがやさしさを与えてくれる一冊です。

2020年09月18日