バブーシュカのおくりもの


サンドラ・アン・ホーン ぶん
ソフィー・ファタス え
さわ ともえ やく

日本キリスト教団出版局

 

昔、バブーシュカというやさしいおばあさんがいました。

バブーシュカの心にはぽっかり穴があいていてじっとしていると悲しくなってしまうのでいつも朝から夜まで家のなかをピカピカに磨いて忙しく働いていました。

ある夜のこと、窓の外に見たことのない明るい星があらわれました。

でもバブーシュカはそんな星には目もくれません。

天使も現れましたが追い返してしまいました。

しばらくすると、戸口に博士たちが立って、「私たちと新しい王様に会いにいきましょう」と誘いますが、バブーシュカはラクダが道を汚くするからと追っ払ってしまいます。

博士たちはあわててラクダを追って行ってしまいました。

バブーシュカは夢を見ました。

さっきの天使が現れてうまごやで生まれて産着だけで飼い葉桶に寝かされている王様のことを歌い始めました。

そして星が明るく照らしたので、バブーシュカは目をさましました。

「あたたかいショールにも包まれていない王様なんて。今すぐ行ってあげなくちゃ」。

バブーシュカは、あかちゃんのためのピエロのお人形と、あたたかいショール、しょうが入りの飲み物をかごに入れて出発しました。

道の途中でバブーシュカは人形を落として泣いている女の子に、かごの中からピエロの人形を取り出すと愛を込めて差し出しました。

しばらくいくと、足が痛くて思うように歩けないおばあさんに会いました。

バブーシュカはしょうが入りの飲み物を取り出して愛を込めておばあさんにあげました。またしばらく行くと今度は寒くて歩けないでいる羊飼いの少年に出会いました。

バブーシュカはショールを取り出すと、少年の肩にしっかりとかけてあげました。

かごにはもう何も入っていません。

「せっかくのおくりものをみんなあげちゃうなんて。新しい王様にはもう会いにいけないわ」とトボトボともどろうとした時、後ろから「バブーシュカ!」と呼ぶ声がしました。うまごやの前に立つマリアでした。

「私はおくりものを何一つ持っていないんですよ。」「いいんですよ。さあ中にお入り下さい。」といわれて中に入ると、あかちゃんがバブーシュカの持ってきたあたたかいショールに包まれてピエロの人形と一緒にねていました。

ヨセフはしょうが入りの飲み物を気持ちよさそうに飲んでいます。

「いったいどういうこと?」

「あなたが愛をこめてみんなにあげたのはわたしたちの赤ちゃんにくれたのと同じことなんですよ」とマリアは静かにいいました。

バブーシュカは赤ちゃんのほほ笑みを見ているうちに、不思議な気持ちでいっぱいになっておそうじのことなど忘れてしまいました。

バブーシュカはあかちゃんをギューッとだきしめました。


☆このお話は「最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。 マタイによる福音書25章40節」という聖句が底に流れているクリスマス物語です。
悲惨な状況のなかでお生まれになった王様に差し上げようと用意したお人形やショールや飲み物を持って出かけたバブーシュカは、その道の途中でその贈り物を必要としている人たちに出会い、愛を込めてあげてしまいます。
何も王様に差し上げることができなくなって意気消沈して帰りかけたバブーシュカに母マリアは声をかけます。そして「あなたのした愛の業はすべてわたしの赤ちゃんにしてくれたものだ」というのです。
クリスマスには、このメッセージが奇跡物語のような響きをもってよく語られます。
これらの物語から、神は何者か、どこにいるのか、自分との関係は、ということが語りかけられているように思います。

また、この絵本で深く心に響くのは、バブーシュカという人となりの描き方です。
バブーシュカは、おばあさんと描かれていますが、「やきたてのクリスマスケーキのようにふっくらまるっこくて、せわずきのやさしいおばあさん」としてそれは美しくかわいらしく描かれています。
でも「バブーシュカのこころにはぽっかりとあながあいていて、じっとしているとかなしくなってしまう」人、として設定しています。
その穴を埋めようと、いつも忙しく掃除をしているバブーシュカ。
まどに見たこともないような明るい星が輝いても、天使がよい知らせを持ってきても、贈り物をもった博士が訪ねてきても、お掃除のことだけでいっぱいになっていて、一番大切なことを心に受け入れる余裕がありません。みんな拒否してしまうのです。
けれども、神様は何度も機会をくださって、粘り強くバブーシュカに語りかけてくださいました。ようやく、赤ちゃんが馬小屋で産着もなく生まれたという事態がのみこめたバブーシュカは、元来の親切な世話好きな人として「何か自分にできることをしなければ」という思いで急いで王様に会いにいきますが、その道すがら出会った人々に「今、自分のできること」を「愛をこめて」行うのです。
そんなバブーシュカにマリアは声をかけ、赤ちゃんはほほ笑み返します。
その新しい王様である赤ちゃんの不思議なほほ笑みのなかで、バブーシュカは今まで自分を捕らえていたお掃除をしなくちゃあという脅迫概念から解放されて、希望と喜びをとりもどしていきます。
心の穴が喜びで充たされていったのです。
このことは、現代に生きる私たちの姿に二重写しになりませんか。
私たちはいつも自分の近くの目に見えるものに心を支配され、いつも忙しがっていて、目に見えないけれども人が生きていくのに一番大切な最も価値あるものがあることを受け入れようとしません。
全く気づかなかったり、気づいても考えることさえ億劫だったりして、跳ねのけてしまいがちです。そして、いつも空虚や充たされない思いで生活しています。
そんな私たちに、神様はクリスマスをくださいました。
歴史の上に、あるいは世界中に神様がその御子をお与えになったということだけでなく、一人ひとりの心のなかに神様は働いてくださって赤ちゃんイエスさまを生まれさせてくださり、希望と喜びのうちに人間性の回復と再生をお与えになるのだと思います。
毎年毎年、クリスマスの度に、バブーシュカのように心のなかにぽっかりあいた穴を喜びと平和で充たしてくださる神様の呼びかけを素直に受け入れたいと思います。
やっぱりクリスマスは、喜びの時。
メリーメリークリスマス!

2020年09月23日