わたしとあそんで


マリー・ホール・エッツ ぶん/え
よだ・じゅんいち やく
福音館書店

 

「わたし」は原っぱにいきました。

草を食べているバッタに「わたしとあそびましょ」とつかまえようとするとバッタはぴょんととんでいってしまいました。

蚊を待ち伏せしているカエルも、ひなたぼっこをしている亀も、樫の実を食べているリスも、枝に止まって鳴いているカケスも、花を食べ始めたうさぎも、へびも、みんなみんな「わたし」がつかまえようとすると逃げていってしまいました。

だれも遊んでくれないので「わたし」は草の種を吹き飛ばし池の石にこしかけてミズスマシが水にすじをひくのをじっとみていました。

ずっと静かに座っていると、バッタがもどってきて草の葉に止まり、カエルも亀も、りすもカケスも、そしてうさぎもへびもみんな「わたし」のそばにもどってきました。

その時、茂みのなかから鹿のあかちゃんが「わたし」を見つめていました。

「わたし」が息を止めていると近くに寄ってきて「わたし」のほっぺたをなめました。

「わたし」は今とってもうれしい。みんなが「わたし」と遊んでくれるんですもの。


* マリー・ホール・エッツは「もりのなか」やその続編「またもりへ」などをかいた作家です。
彼女は幼い時から家のそばの森に出かけたくさんの植物や動物の様子をじっと見つめ自然の中で何時間も一人で過ごした、ということですがこの本のなかにもそんな作者の姿が表現されているように思います。
子どものデリケートな心情を詩的に語ることのできる作家です。
「もりのなか」では「ぼく」が主人公ですが、この「わたしとあそんで」は「わたし」が主人公になっています。
「わたし」は誰かと遊びたくて遊びたくて仕方のない元気な女の子、原っぱで「ね、わたしと遊ぼう」と思わずつかまえようとすると動物たちは次々に逃げて行ってしまいます。
一人きりになった「わたし」は、自分で遊び出します。するとさっき逃げて行った動物たちが戻ってきて「わたし」と遊びだした、というものがたりをやさしい絵で描いています。
子どもにとって興味関心のあるたくさんの動物が登場し、くりかえしの楽しさと起承転結のはっきりした展開は絵本の醍醐味を余すところなく伝えてくれています。
散っていったものがまた集まってくる、といった出来事が感覚的に緊張と喜びにつながって「あぁよかった」という幸せ感を与えます。
作者は「あぁわたしは今とってもうれしいの。とびきりうれしいの。なぜってみんながみんながわたしと遊んでくれるんですもの」と最後のページで「わたし」に言わせていますが、幼い子どもが心に蓄積してほしいものとはこういう「幸せ感」なのではないかと思います。

4月、幼稚園にも「わたし」と同じように、誰かと遊びたくて仕方ないという子どもたちがたくさん入園してきます。
けれどもはじめは遊びたいのにどうやって友達になったらいいのか分からずに、叩いたりひっぱってみたりしては相手を泣かしたり拒否されたりする子どもがいます。
自分だけの思いでアクションを起こしてしまうのですね。
そのうち、周りの人たちの遊んでいる様子を見るゆとりが出てくるようになると、人との関わり方がだんだん分かってきます。
そして相手の思いや状態も思いやりながら自然に友達と一緒に遊ぶことができるようになります。
人との「間」が分かるようになるのです。
このことはことばでいくら説明しても分かるものではなく自分の体験と感覚を通さないと学習されていきません。
そして、このことは生涯を通して人との関わりの基となっていくのですから大切に見守ってあげなければならないと思います。

2020年10月06日