うっかりもののまほうつかい
エウゲーニイ・シュワルツ 作 オリガ・ヤクトーヴッチ 絵
松谷 さやか 訳
福音館書店
昔、あるところに、魔法使いであり、機械づくりの名人でもあるイワン・イワーノヴィチ・シードロフという学者がいました。
いろんな機械を作りましたが一番のお気に入りはロボくんでした。ロボくんは猫くらいの大きさで犬のようにいつも後からついてきて、人間のようにおしゃべりができます。
学者は大変なうっかりものでしたが、ロボくんが一生懸命助けます。
ある時、学者とロボくんは散歩にでかけました。
すると、男の子が荷馬車に麦をつんでやってきました。
男の子はロボくんを見て話しかけてきましたが、学者が魔法使いだと知ると、荷馬車をひいている馬を猫に変えられるかとききました。
学者は動物を小さくする魔法のレンズをとり出すと、馬のほうに向けて「1・2・3!」というと馬車につながれていた馬がたちまち猫になりました。
ところがその時、ロボくんはリスをおいかけていてその場にいなかったのが致命的でした。
だって、小さくなった動物を大きくもどすレンズはこわれていて修理に出していることをうっかりものの学者はすっかり忘れていたのです。
時すでに遅し。
レンズがなおるまでちょうど一月、馬は猫のままで暮らすことになってしまいました。
猫になった馬は、ネズミをつかまえたり、ミルクをピチャピチャのんだりペチカの上で眠るようになりました。
さて、25日目のこと。
うっかりものの学者は、予定より早く仕上がってきた「動物を大きくする魔法のレンズ」を、男の子に何も知らせずその家の方に「1・2・3!」と向けてしまいました。
ペチカの上で気持ちよく寝ていた猫は急に大きな馬に大変身。
ペチカはこわれるし、馬も家の人もみんなびっくり。
馬は猫から馬にもどることができました。
ところが馬にもどったものの、それからというもの毎晩のようにネズミを待ち伏せしたり、屋根にのぼって夜明けまで遊んだり、猫たちと語り合ったりするようになったということです。
* この話は、今現在の話のようですが、実は今から65年前にロシアの幼年雑誌に発表された話です。
65年前というと日本では敗戦の年です。
そんな世情のなかでロシアのエウゲーニイ・シュワルツはこんなことを考えて発表していたのですね。
科学の進歩、発展に国を挙げて力を入れてきたロシアというお国柄が影響しているのかもしれません。
65年前この話を幼年雑誌で読んだ子どもたちのなかには、こんな世界を夢に描きそれが実現できるように科学の進歩に寄与してきた人たちがいたかもしれません。
今現在、この絵本のなかに出てくる、掃除をする機械も、人が話すことを書いてくれる機械も、コーヒー豆をひいて入れてくれる機械も、ドミノゲームの相手になってくれる機械も、またロボくんのように人間のようにおしゃべりができて日常生活のさまざまなことが上手にでき、うっかりものの人間をコントロールさえできる機械も、科学の進歩のなかですでに実現して生活のなかに存在しています。
機械と人間との共存。それは今や必須のことで、否定するべきことではありませんが、馬が猫に変えることができたとしてもやはり馬には馬の本質があり、猫には猫の本質がある。それを機械で無理矢理変えるとするならば、世界は破壊にむかうでしょう。
これから先、人間が人間の本質を超えて破壊に向かうような事態になった時、ロボくんのようにベルをならして警告してくれるような機械が必要になってくるのでしょうか。
この話はこの65年間の時間のなかさまざまな形で出版されてきましたが、2010年1月、オリガ・ヤクトービィチの絵によって新しく絵本として出版されました。
オリガ・ヤクトービィチの絵は透明感のある美しさと確かな質感のあるデッサンで私の好きな画家ですが、残念なことにこの絵本の絵を最後にして亡くなりました。
このおはなしが現代の子どもたちにも夢と楽しさを与えてくれる絵本として出版されたのもこの画家の絵があってこそとも思います。
時代を超えて、この絵本がたくさんの子どもたちのものになっていってくれたら素晴らしいと思います。