なかなおり
シャ-ロット・ゾロトウ 文
ア-ノルド・ローベル 絵
みらい なな 訳
童話屋
雨がジャージャー降っている暗い朝です。
パパはママに「行って来ます。」のキスを忘れて出かけていきました。
ママは不機嫌になつてジョナサンに八つ当たり。
ジョナサンはむかついて姉さんのサリーにいらないおせっかいをしました。
サリ-はぷんぷんしたまま学校へ行ったものですから、今度は友達のマ-ジョリ-に難癖をつけました。
マジョ-リ-はかっとして不機嫌になり、家に帰って弟のエディに難癖をつけました。
エディは癪にさわってむしゃくしゃし、自分のベットに寝ていた犬のパジ-を追い出しました。
でもパジ-はへこたれません。
エディと遊びたくて飛びついて顔をペロンペロンなめました。
エディはくすぐったくて笑い転げているうちにお姉さんの意地悪を忘れてしまい、部屋に入ってきたマ-ジョ-リ-にとっておきの鉛筆をあげました。
マージョ-リ-はにっこりしてエディに「さっきはごめんね」とあやまりました。
あやまると気持ちよくなってサリーに電話をするとサリーは「さっきはごめんね」とあやまりました。
あやまると気持ちよくなってサリ-がジョナサンににっこり笑いかけるとジョナサンもサリーにあやまりました。
そして、ジョナサンがママに話しかけるとママも機嫌がなおりました。
やがて夕方、雨が止んでおひさまが顔を出し、パパが帰ってきてママにただいまのキスをしました。
*この本のお話は、一本の曲線が放物線を描いているような動きとリズムを感じさせます。
ちょっとしたきっかけで不機嫌になったママから次々に不穏な空気が伝わって、雨の一日にたくさんの人が八つ当たりや意地悪の嵐に巻き込まれます。
ところが、「犬」との関わりを媒介にして,そこからマイナスがどんどんプラスに変わっていきます。
この文章のなかには「あやまると気持ちよくなって」という文が重ねられていますが、「あやまられること」よりも、「あやまること」の方が自分にやさしく自己肯定することができるのかもしれません。
伝染していった黒い嵐が、何気ない転換の中で今度は仲直りの伝染になっていきます。
このなかで、人は関係性のなかで生きているものなのだということを感じさせられます。
そして、いったん決裂したかのような関係性も、必ず回復できるものなのだということを希望として感じることができます。
回復するだけではなく、今まで以上にその関係性を深めていくことになります。
人と人の関係性の微妙さ、そしてよき方向に向かおうとする善良さと柔軟性を恵みとして感じられる一冊です。
今から46年前に描かれたこの絵本,ユーモアと共感性のなかでたくさんの人たちに勇気を与えてきたことと思います。